家族に学ぶ、ということ
先日もお伝えしましたが、母方の祖母が亡くなり、葬儀を終えて戻ってきました。
母方の祖母は、10人以上もいる兄弟姉妹の中で、面倒な喧嘩の相談から何からを全て黙って聞いてやっていた、言わば母親のような役割をしていた人だったそうです。だからとても優しい人だったし、僕ら孫の世代はみんな、祖母のことが大好きでした。
そんな祖母が先日、「もう長くない」と言われていたガンのせいでいよいよ危篤状態となり入院した際に、「もういろんな人とは会いたくない。いろんな話はもう聞きたくない。会うのは自分の家族だけでいい。自分を本当に心配してくれる人だけでいい」と、僕の母親に初めて漏らしたそうです。たぶんもう、疲れちゃったんだと思います。だから、それを聞いた母親と母親の兄・姉は、お見舞いも看病も葬儀も何もかも自分たちでやり遂げました。それはまるで、親離れをしようと必死にもがく子供の姿のようでした。
母と母の姉は、告別式の最後にはびっくりするぐらい泣きじゃくっていました。祖母はあの時、愛らしい子供たちの姿を見て、どんなにか幸せだったことだろう。きっとその幸せは、死ぬまで味わえない「親孝行」なのだと思いました。
更に下の世代にあたる僕は、そんな自分の親の姿を見ながら、祖母の子の姿を見ながら、色々なことを学びながら、もうなんだかわからないけど涙を流しながら、少しだけ大人になったような気がしました。
ところで、僕が祖母に「あんたがいちばん可愛いねえ」と常日頃から言われていた件ですが、こないだ新事実が発覚しました。
お通夜の0時過ぎ、いとこと線香をあげていた時のこと。
僕 「なんか本当に実感わかないよね」
いとこ 「そうだな」
僕 「○○ちゃん(別のいとこ)、いいトシこいて『線香は俺がひとりでやる』って言い張ってたよ」
い 「○○ちゃんホントに慕ってたもんね」
僕 「でも申し訳ないけど、僕いつも『いちばん可愛いよ』て言われてたよ」
い 「ああ、そうなの」
コ 「だって病院の送り迎えしてるときとかもいつも言ってたよ」
い 「ああ、それおれも言われてたよ」
つД`) 長年にわたりだまされてたーーーーー!
人気者はこういうとこをうまくやるんだな、と痛感した瞬間でした(そしてメモった)
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