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僕は、日記を書こうと思う。

by コダ on 2005.06.27.

僕は、日記を書こうと思う。

それは、ウェブ上で数年公開しているこのページのことではありません。

僕は今日から、日記を書くことにしました。

 

僕のことを良く知る友人や、面識はないけれどたまたまこのサイトの記事を読んでくれた方に、「文章うまいですね」と言われることが時折あります。僕はとても嬉しい反面、「僕には、褒められるほど大した文章を書く能力はない」と思っているし、ましてや僕はインターネット上でハナクソの話しかしていないので、なんだかとても恥ずかしくなり、大抵は「いや全然そんなことはないです」といった返答をしています。

ただ、これまでとりわけ国語の勉強をせず、本も全くと言っていいほど読まずに育った、ただ単に「日本語が好き」という程度の僕に多少なりとも文章力というものが備わっているのだとすれば、それは、物心ついたころから中学卒業までの約10年間、ほぼ毎日と言っていいぐらいに書き続けていた日記のおかげだと思っています。

 

読書狂で勉強家な僕の父親が日記をつけはじめたのは、僕が産まれる直前の頃でした。

「息子を物書きにしたい」と密かに考えていた父親は、それが理由だったのか、あるいは「いずれ本人にとって掛け替えのないものになるだろう」と単純に思ったのか、数年後、息子にも日記を書かせはじめます。それが、僕と日記との出会いでした。

ただしこれは、「自分で書いて、自分で読む」普通の日記とは、ちょっと違うものでした。

例えば僕が「今日は友だちとあそびました。とてもたのしかった。」と書く。

するとその翌日、次の行に必ず赤ペンで「楽しくてよかったね!ホームラン打てたかな?」などと書かれている。

僕の全ての日記には、父親からの丁寧なレスポンスがあったのです。

 

小学校を卒業するまで延々と続いたこの壮大で無意識的な「交換日記」は、団塊の世代の銀行員として馬車馬の如く働いていた父親による、あまりにも素晴らしい息子とのコミュニケーションのかたちとして、今でも実家に残っています。父親が完璧にやり遂げたこの偉業のことを思う度に、僕は父親を尊敬して止まないし、事実このやりとりが、今の僕の半分以上を形成しているといっても過言ではありません。将来もし結婚して子供が出来たとしたら、僕は自分の子供に同じことをしてあげたいと強く思っています。

 

中学校進学とともに、学校の担任に毎日提出しなくてはならない義務的な「学級日誌」となったところで、残念ながらこのやりとりは途絶えてしまいました。そして、高校生になり多感な時期を向かえた僕は、たまにこっそり日記めいたものを書いてはみるもののそのあまりにも絶望的な内容に嫌気が差して、書いては燃やし、を繰り返します。その頃に書いた文章は全く残っていません。その後、大学卒業と同時にインターネットというオモチャを発見し、そのうち、どうでもいい話しかしないウェブ日記のようなものを記すようになり、現在に至ります。

でも、ウェブ上の記録って結局「人目しか意識してない」から、本当に思っていることなんて何ひとつ書いてないんですよね。悪い言い方をすれば、ウソばかり。それが悪いことだと僕は思わないけれども、「本当の気持ちを残してもいいんじゃないか」と最近すごく思うようになったため、今日思い立って、1冊で5年分を記すことのできる「5年日記」という日記帳を購入しました。

 

ところで僕がこういった考えに突き動かされたきっかけは、同じく僕の父親に薦められて数年前から「10年日記」を書いていた、今日で四十九日を迎える母方の祖母の日記にあります。

実は先日、ひとりで祖母宅へお線香をあげに行ったときに日記帳を発見して、「もういないから、いいかな」と思ってちょっと読んじゃったんですよ。「自分しか読まない」はずだった祖母の日記を数ページめくり、いつも笑顔で元気だった祖母の本当の気持ちを目の当たりにした僕は、もう申し訳なくて仕方がなくて、ほとんど泣いていました。祖母は本当に全ての人に感謝していたし、本当はすごく苦しくて寂しかったんだと、今さらながらに気づかされました。

もっと、いろいろとしてあげられればよかった。

だから、僕もできるだけ本当のことを書く日記にしようと思う。

いつかの自分と、僕がいなくなったときの誰かのために。

 

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Categories: その他・雑文

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